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Burrn 2015/01
'84年のラインナップ(DAVID、JOHN、NEIL、COZY)について。
考えてみれば、WHITESNAKEの歴史上ギタリストが一人だった時代はJOHN在籍時(JOHN在籍時は
MELが居たが)のみ。DAVIDはもう一人ギタリストを追加する提案をしたがJOHNが断ったこと
(本誌BURRNではツアー中でありオーディションする暇はなかったとDAVIDが語っています)。
WHITESNAKEのイニティアティヴはDAVIDが持っていることを考えるとJOHNの才能を評価していた
ことは間違いないし、後にJON LORDが脱退し、そしてMELの事故による脱退。DAVIDは
「JOHN一人でやっていける」「今のJOHNは脅威だ」とも語っている。この脅威とは「SURPENS
ALBUS」の作成に取り掛かっている時期。つまりWHITESNAKEでこれまで以上に良い作品が出来る
ことを予見出来ていたと推測できます。そして本誌でもDAVIDは「とてもパワフルだった。
リハーサルスタジオでは”新幹線が壁に突っ込んだようだった。”とスタジオ所有の友人に言
われた」と。DAVIDもJOHNとCOZY在籍時の「WHITESNAKE」は特別だったと認識しています。
JOHN加入の経緯について、JOHNはPURPLE加入当時のDAVIDと同じ(自分の可能性を切り開かなく
てはいけない状況だった)だったと。また、DAVIDとPHIL LYNOTTは親しかったようでLIZZY在籍
時にライヴのチェック、また「ERIC CLAPTON」「JEFF BECK」のようにアイデンティティを持つ
ギタリストになる可能性をJOHNに見出したいたとも語っています。COZY、MELは加入に反対して
いたようですが。
< COZYについて >
「SURPENS ALBUS」作成時期にドラマーが見つかっていない時期にDAVIDが「君の後釜を見つける
のは非常に大変だと」COZYへ電話をしたそうですが、COZYは「どうもありがとう。お休み!」
と。それがCOZYとの会話の最後になったということです。あまり時間も経っていなかったこと
からCOZYのDAVIDに対する印象は良くなかったのでしょうね。'98年のCOZYの事故以前に
コンタクトはなかったのかは分かりませんが、ファンとしては、もう一度「最強の
ラインナップ」で見たかったですね。
< ROCK IN RIOの真相 >
捜索に長い時間をかけていたようですね。「彼らとはもうビジネスをやらないことにした」と
いうDAVIDの言葉。怒りと諦めが交錯しているように見えます。推測でしかありませんが、
捜索/取引において不条理な金額、契約を突きつけられたとか。。であれば、後進国の経済的な
事情、国民性、音楽に対する思い、それぞれがかみ合わなかった結果か。個人的にWHITESNAKE
としてのライヴパフォーマンスの頂点は、ROCK IN RIO だったかもという思いもあるので、
非常に残念ですね。
< STOCKHOLMのライヴ >
殆ど寝ていない+二日酔い状態で、朝の10時からのライヴ(笑)
この映像最初にブートで見たときに「あれ、何か会場の様子が。。。何か場違い」と思って
いたら、やはりそうだったのかと。TVに出てライヴをやるだけど伝えられステージに立った
ところレストランであり、観客はディナーテーブルに座っていたので、DAVIDは
「Good Evening!!」と叫んだそうです。
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